統合失調症で初めて受診した日から19年経過

統合失調症で初めて受診した日から、19年が経ちました。
ずっと同じ医師に診ていただいてます。長いお付き合いです。
これだけ長いと信頼関係も深まり、調子の良い私の顔を見るだけで医師も自然と笑顔になります。
診察で私が答える言葉、「変わりなく過ごしています。」

落ち込んでてもいけない、逆に元気過ぎても心配の要因になるそうです。

この病気に完治はないのです。
前にも書いた通り、服薬をやめると80%の確率で再発するそうです。
そして現在の私の状態を寛解といいます。

薬は欠かさず飲んでいます。
自分の状態がよくわかるようになりました。
緊張状態になると頭痛がしたり、動悸がしたりします。
他人とうまく話せなかったりします。
ですので、外出しないといけない時は、少し時間より早めに薬を飲んで出ます。

時に心乱すような事が起こっても、とにかく寝ずに考えたりしないこと。
睡眠が一番大切なのです。

家族といる時はもちろん緊張状態ではないです。
ですが、外出するといろんな景色、いろんな音を感じます。
他の人も目に入ります。そうするとやはり疲れやすいです。

家にいるときも調子の悪いときは、テレビの音が少し煩わしく感じたりすることはよくあります。
小さくしてもらったり、それでも気になるときは私がその部屋を離れます。

自分の心の状態をよく考えながら行動するようになりました。
自身でコントロールしていかないといけないのです。
調子の悪いときは昔のことを、いろんな出来事を思い出します。
そんな時はなるべく睡眠を多くとるように心がけてます。
前に進んでいきたいのです。前を見て歩いていきたい。

朝、爽快に起きられる日が続いています。
心が安定しているからこそです。
薬さえ飲んでいれば、ほとんど支障なく生活できることがよくよくわかりました。

私はこの病気と共に生きていく、いつしかそれが当たり前になっていました。

赤ちゃん向けのウォーターサーバー比較

薬を服用しながら妊娠、出産

子どもを持つことを決意してから、ほどなく妊娠がわかりました。
産婦人科のみの病院ではなく、精神科のある総合病院で出産まで診ていただくことに決めました。
総合病院の医師が、私のことを統合失調症だとは思えないと言うくらい、私は平常心を保ち毎日を送っていました。
不安はもちろんありました。
赤ちゃんが無事元気に生まれてきてくれること、それだけを祈っていました。

そして出産。
元気な産声をあげ、無事私たちのもとへ赤ちゃんが生まれてきてくれました。
私の服用してる薬の成分が抜けるまで、NICUで診ていただくことになりました。
退院する前日までの7日間、保育器の中で過ごしてました。

私は出産してすぐに母乳を止める薬を飲みました。
それなのに8日目、保育器から出てきたわが子を初めて抱いた後、胸がぱんぱんに張ってきました。
看護師さんが言いました。
「子を思えば思うほど、体が本能で反応するんです。あなたは立派なお母さんなんですよ」と。
涙が出てきました。
母乳をあげられない悔しさ、というより私たちを選んで生まれてきてくれた赤ちゃんのことを思い涙が出ました。
私はお母さんになったのです。

出産後、実家に帰り、子どものことはもちろん手伝ってもらいながら、私の心の安定も気にかけてくれてました。
2~3時間おきのミルク、昼間はいいのですが夜中しっかり眠れないのがだんだんと負担になってきました。
母が夜中、私に代わりお世話をしてくれました。
1カ月で家に帰りましたが、つらくなりそうなときは実家に行き、また助けてもらいながら育児をしていました。

子どもはすくすく育ち、3年後、第2子を妊娠しました。
2人目も無事出産、私は2人のお母さんになりました。

授乳はミルクなので、夫にも助けてもらいながら、なんとか2人目も私にとって一番辛い乳児期を乗り越えることができました。

私の精神科への通院は2週おきから1ヶ月おきとなりました。
薬も毎回同じものを同じ量で安定を保っていました。

統合失調症の診断から6年…結婚しました

初めてこの病気で診察を受けてか6年が経過していました。
私は29歳になっていました。
付き合っていた彼からプロポーズを受け、結婚に向けて幸せいっぱいの日を送っていました。
もちろん彼は私が病気で通院してること服薬してることを知った上で、結婚を申し出てくれました。
しかし、私のこれまでの病状については知りませんでした。
「統合失調症」という病名は伝えました。
おそらく彼なりに私の病気について、調べてくれていたと思います。
30歳になってすぐに、結婚しました。

私でも結婚することができたのです。

結婚式の後、そのまま新婚旅行をされるご夫婦は多いですが、私のことを考えてくれて新婚旅行は生活が落ち着いてから行こうと彼から提案があり、
私もありがたくその提案に賛成しました。

結婚式、披露宴はとても楽しい時間でした。
そして今まで支えてくださった方々へ、本当に感謝の気持ちでした。

終わって新居に着いた時は、ほっとしたのと同時に頭痛がし疲れがかなり出ました。
安定してても以前に比べ、疲れやすくなってることは自分でもよくわかっていました。
すぐに寝る準備をし、薬を飲んで睡眠を取りました。
翌日には頭痛もおさまり、心も落ち着いていました。

結婚後も私は仕事を続けていました。
忙しい日々の中でも、心は満たされていました。
私を必要としてくれる人がいるという幸せ、私は自分の存在を何年もかけてやっと肯定できたように思います。

そろそろ赤ちゃんが、子どもがほしい。
病院の診察室で、私は先生に尋ねました。
私でも授かって産むことはできますか?
服薬のことが気になっていました。
飲んでる薬について、インターネットなどでも調べました。
妊娠してもいいのかどうか…

医師は絶対に大丈夫とは言えない立場です。診察の度に、医師に相談しました。
妊娠中も服薬をやめられない、そして母乳を与えられないことを知りました。
最後に決めるのは私たち自身です。
私たちは子どもを望むことにしました。

統合失調症の再発と社会復帰

完治したと思っていた病が、再びおとずれました。
それは、突如猛烈に起こりました。
眠れないというより寝ずに音楽を聴いたり、本を読んだりの日々が続いた矢先でした。
世界が歪んで見える、外の景色を見るだけで吐き気がしました。
聞こえてくる声、音すべてが私を責め立ててるように聞こえました。
車に乗り、以前診ていただいてた病院につきましたが、車から降りることができませんでした。
歪んで見えるのです。吐き気がおさまらないのです。呼吸が苦しく頭と体が悲鳴をあげてました。
顔を腕で覆い、何かに怯え車の中で震える私のもとへ先生が来てくださいました。

「わかりますか!わかりますか!」

そのように問われていたように思います。
腕で覆った顔を見せることすらできませんでした。

そしてまた大量の薬が処方されました。
やはり両親が責任をもって私をみると言ったのでしょう。
そんな状態でも入院することはありませんでした。
薬で眠り、起きたら呼吸は楽になったものの、言っていることは支離滅裂でした。
しかし今度はテレビをつけたりラジオを聴くのが怖かったのです。
ひたすら安静にしていたように思います。
ですのでそんなひどい病状だったにも関わらず、薬と安静でみるみる状態は回復をたどっていました。

服薬をやめると80%の確率で再発するということを後で知りました。

1年後、社会復帰へ

診察、服薬を欠かさず1年が経過したころには、就業意欲も沸いてきました。
かれこれ3年は社会に出ることなく家で過ごしていたというブランクもありましたが、パートタイムの仕事に決まり、久しぶりに社会に出ることとなりました。
一生懸命働きました。不安感もありましたがとにかく今私にできることを精一杯という思いでした。

もともとは社交的で明るい性格、いろんな場面でしっかりしてると思われリーダーになってきた私でしたが、そのパート先でも店長候補として採用されていたようでした。
しかし、昔の私とは違いその重圧に耐えられなくなり店長になる寸前に、退職しました。
病を患う前の私だったら、そんな行動にはでなかったと思います。

次は事務の仕事に採用していただき、そこでは大体毎日の仕事が決まっていてとても働きやすい職場でした。
私の状態も多少の波はあるものの、仕事への支障はなく安定が続いてました。

症状が落ち着いていた2年間

私の毎日は、両親をはじめ、家族、親友のサポートで成り立っていました。
実家での生活を余儀なくされた私は、両親と一緒に一人暮らしのマンションに出向き、引き払い、
もちろん仕事も正式に退職し、3年間暮らした街を去りました。

母は嫌な顔一つせず、食事の用意や身の回りのことをしてくれました。
親友は私の誘いを断らず来宅してくれ、たくさんの話を聞いてくれました。
次第に一人でも少し外出できるようになりました。
近くのスーパーで買い物をしたり、ご近所の方とあいさつを交わしたり、少しずつ少しずつ、心は安定へ向かってました。
両親に甘えさせてもらい、仕事には就かず、家事を手伝うくらいでした。
穏やかな時間が過ぎていきました。

2週間に1回の診察と毎日の服薬、1年が経つころにはいつもの私に戻っていたのではないかと思います。

そんなある日、身内の不幸で通夜、葬儀を行うこととなりました。
両親はそのことで頭がいっぱい。私もショックで頭がいっぱいでした。
すっかり自分の病気のことは忘れ、服薬もまちまちになり、病院の診察もキャンセルの後、放置してしまいました。
それでも問題なく過ごせていたので、家族みんな私の病気は治ったと思っていました。
何より私自身が治ったんだ、と確信していました。

安定した日が続けば続くほど、「完治した、もう薬は飲まなくていい、病院にも行かなくて大丈夫」と思いました。
私は今までの自分を思い起こしては、私に関わった人たちに「病気だったんです。すみません、でももう治りましたから」と言って回りたい思いでいっぱいでした。

精神分裂病と以前まではいわれた通り、私の心は分裂状態だった、それを恥ずかしいと、後悔と似たような思いを味わっていました。
時間に余裕があるからこそ、振り返りが多かったように思います。
そして、私のことを「変わった人」という印象で終わらせたくない気持ちでした。

そんな思いに駆られながら、安定した日々が2年ほど続いていました。

精神科受診と大量の薬の服用

両親に連れられ、初めて精神科を受診したときは、待ってる間も落ち着かず、何かに追われてるようにイライラし、一人で外に出て行って連れ戻されるも何者かに支配されてる気分でさらにイライラし、トイレと待合室を行ったり来たりしてました。
そんな様子を見かねた医師が「別室で待つように」と言いました。

別室にはたくさんの書籍があり、それを出して読むわけではなくこの本はこっち、この本はあっちと何か自分の頭の中に決まり事があるように、本をあちらこちらに置き始めました。
とにかく落ち着かず、呼吸は上がり体も心もとてもつらい状態でした。

診察室には呼ばれず、医師が私のいる部屋にきました。
何も聞かれてないのに、意味不明な自分中心に世界が回ってる話やとにかく今起こっていること、全て妄想なのですが、それを話しました。
診察の結果はおそらく両親が聞いたのだと思います。
その時のことは、正直断片的にしか覚えていません。

帰ってから確か6錠くらいの薬を飲みました。しばらくして眠りにおちてました。
大量の薬の管理は、母がしてくれていたようです。
私には1回分だけを飲む時間に出してくれていました。
なぜ私が薬を飲まないといけないのかという苛立ちから、飲まないときもありました。
泣きながら飲むときもありました。

そんなにすぐに私の症状はよくなりませんでした。
ただ、睡眠だけは十分にとれていたように思います。
起きているときはラジオとテレビ両方をつけてました。
そして、また私のことを言っている、テレビから私のことが見えているという妄想が続き
ノートに私にしかわからない図や言葉をたくさん書き、異常行動すらなかったものの頭の中は違う世界をさまよってました。

両親の意向だったのか、入院治療には至りませんでした。
母が私の話を決して否定はせずに、毎日聞いてくれました。
時には笑顔で聞いてくれました。
兄弟も気晴らしにとドライブに連れて行ってくれたり、家族みんながサポートしてくれてました。
私の言動に「またおかしいこと言ってる」という人は周りに一人もいませんでした。

おそらくそう言われてたら、もっと混乱してしまっていただろうと思います。

社会人になったころに始まった幻聴・妄想

入社をきっかけに、私はワンルームマンションでの一人暮らしをスタートさせました。
軽度の鬱症状は出たものの、比較的心は安定してました。

2年が経過したころ異変が起き始めました。
眠れない…不眠症?
お気に入りのCDアルバムが、朝まで何度もリピート再生してました。
眠れない日が続くと頭の回転が異常に早く感じ、目につくもの、聞こえてくることすべてが気になり瞬時にいろんなことを自分の中で決めつけるという作業が頭の中で起こってました。
例えば
(電車の中で今席を立ったこの人は、私と同じ出身地だと私に知らせるために席を立ったのだ。)と考えるようになりました。

聞こえることに関しては、他人同士が話してること、私とは全く接点もないのに私のことをこんな風に言っている。と自分に関連付けられてるような錯覚に陥り、世の中の人たちがみんな私に注目してて、みんなが私のことを話してたり、私のために行動してくれてるように思える、いわゆる妄想を起こしだしてました。

友達と出かけたとき、帰りに食事をしたのですが、後ろの席に座ってた家族が話してることがまるで自分のことをあれこれ言ってるように聞こえ、聞こえるはずのない言葉も私の中では聞こえてきて食事もままならず席を立って一人外へ出て行ってしまいました。
「なぜ、みんな私のことをああだこうだ言うの!」と、友達に言いました。

友達は私のことを話してるのではない、と教えてくれましたが、その友達の話す言葉以外の言葉も私の中では聞こえてました。幻聴です。

どこにいっても何をしてても家で見るテレビさえも、自分のことを話してる。
そんな私は一人暮らしのマンションを飛び出し、実家に向かってました。
その行動が今となっては救われたと思います。
家族は私の様子がおかしいとすぐわかり、何日も寝てなかった私を寝かせ、起きたその日に病院、精神科へ。

私は自分がなぜ精神科に行かないといけないのか、その時は全く理解できませんでした。

躁鬱の始まり(高校1年の3学期)

今まで感じたことのない原因のない不安、心のざわつきを感じたのは高校1年の3学期、期末試験の前でした。
いつものように試験勉強ができず、教科書を広げるだけで何とも言えない不安感が襲ってきました。
これが後々考えると鬱の症状の始まりだと思います。

高校生活は調子の良すぎるとき、悪いとき、いわゆる躁鬱に近い状態の繰り返しでした。
躁の状態のときはほとんど睡眠を取らず、ひどい時は4日間一睡もしてない状況でした。
ハイテンションが加速しているときは、昼間は学校が終われば自転車で、時には学校に向かう途中で行き先を変え
かなり遠いところまでこいでこいで、行きつく先で知らない人と話してみたり、一人たたずんでみたり…
夕方には自宅に帰るものの、寝ずに自分の好きなアーティストについてあれこれ調べ物をしてみたり、
自分の思いを綴るノートをひたすら書いてみたり…。

逆に鬱になると、誰とも話さない、話したくても何を話していいのだか不安。
電話がかかるたびに、びくびくしていました。
何をするにも億劫になり、寝ている時が一番楽でした。
起きるとまた訳のわからない不安に押しつぶされそうになる。
自殺する勇気はなく、世界が終わればいいのに、と思っていました。
両親はもちろん心配し、落ち込んで不安になっている私にいろんなアドバイスをしてくれました。
でも、私の状態がそれほどひどいとは気付かず、精神科の受診には至りませんでした。

高校を卒業し専門学校に入学。

専門学校入学当初は、自分の将来の夢の入り口に入ったようで、気分は上がりっぱなしでした。
原付で市内を走り回り、意味のない買い物をし、必要以上に話しまくり、そんな状態でした。
そんなある日、原付で走り回ってる最中、こけて腰を強打し帰宅したものの、血尿が出て病院へ。
入院することとなりました。幸い大事に至らず4日程の入院でしたが、その4日間の私の言動で
医師が母へ「一度精神科の受診をお勧めします」と言っていたことを、後々知ることとなります。